Story

なぜ、ラピスラズリなのか

私が作品にラピスラズリの墨を使うようになったのは、一つの出会いがきっかけでした。
ある日、武田双雲さんの個展で、一枚の作品に目を奪われました。
そこにあったのは、今まで見たことのない美しい青。

その青が忘れられず、「どんな墨で書かれたのですか?」と尋ねたところ、墨職人さんをご紹介いただきました。
そこで初めて知ったのです。その墨には、イギリス産のラピスラズリが練り込まれていることを。

ラピスラズリ。それは、私が子どもの頃から大好きだった石でした。
アクセサリーを選ぶ時も、気づけば手に取るのはいつもラピスラズリ。
理由はわからなくても、その青に惹かれ続けていました。

そして大人になり、書と共に生きる人生を歩み始めた時、再びその青と出会ったのです。
まるで、ずっと探していたものに再会したような感覚でした。
この墨を手にした瞬間、「私が作品に使うのは、この墨しかない」そう自然に思いました。

ラピスラズリは、古くから天空の石と呼ばれてきました。
私はその青に、希望や祈り、そして未来への願いを重ねています。

人生には、思い通りにならないことがあります。
傷つくことも、立ち止まることもあります。
それでも人は、空を見上げるように未来を信じることができる。
私が作品に青を宿すのは、その人の人生の中にある希望を残したいからです。

ラピスラズリの青は、私にとって単なる色ではありません。
人生を信じる力であり、未来へ手渡す光であり、
Blue Legacy ― 青の遺言 ― の原点です。

だから私は今日も、その青に想いを込めて、
人生に残るものを書いています。

幼い頃、背中に大火傷を負いました。

皮膚移植手術を受け、その後も傷を小さくするための手術を何度か経験しました。
人と違う傷跡があることに、戸惑いを感じたこともありました。


大人になり、両親の介護と

向き合う日々が始まりました。

仕事をしながらの介護は、決して簡単なものではありませんでした。

思うようにならない現実の中で、誰かを支えることの大変さと、人の温かさの両方を知りました。

この経験は、今の私の根っこになっています。


聴神経腫瘍と顔面麻痺

1歳の時、聴神経腫瘍の手術を受けました。

術後、右顔面麻痺が残りました。

これまで当たり前だったことが、当たり前ではなくなる。

自分自身を受け入れることの難しさを、初めて深く知った出来事でした。

一方で、その時に職場の先輩方が支えてくださったことは、今でも忘れられません。

人の優しさに救われ、私は生かされていることを知りました。


●気づいたこと

長い間、私は「恩返しをしたい」

と思って生きてきました。

支えてくれた人たちへ。

助けてくれた人たちへ。

何かを返さなければならないと思っていました。

けれどある時、本当の恩返しとは、「まず自分が幸せになること」なのだと気づきました。

自分を後回しにするのではなく、自分の人生を大切に生きること。

自分を認め、自分の人生を愛すること。

それこそが、支えてくれた人たちへの何よりの恩返しなのだと。。


なぜ、ラピスラズリだったのか。

私が作品にラピスラズリの墨を使うようになったのは、一つの出会いがきっかけでした。

ある日、武田双雲さんの個展で、一枚の作品に目を奪われました。

そこにあったのは、今まで見たことのない美しい青。

その青が忘れられず、
「どんな墨で書かれたのですか?」
と尋ねたところ、墨職人さんをご紹介いただきました。

そこで初めて知ったのです。

その墨には、イギリス産のラピスラズリが練り込まれていることを。

ラピスラズリ。

それは、私が子どもの頃から大好きだった石でした。

アクセサリーを選ぶ時も、
気づけば手に取るのはいつもラピスラズリ。

理由はわからなくても、その青に惹かれ続けていました。

そして大人になり、
書と共に生きる人生を歩み始めた時、
再びその青と出会ったのです。

まるで、ずっと探していたものに再会したような感覚でした。

この墨を手にした瞬間、

「私が作品に使うのは、この墨しかない」

そう自然に思いました。

ラピスラズリは、古くから天空の石と呼ばれてきました。

私はその青に、
希望や祈り、そして未来への願いを重ねています。

人生には、思い通りにならないことがあります。

傷つくことも、
立ち止まることもあります。

それでも人は、
空を見上げるように未来を信じることができる。

私が作品に青を宿すのは、
その人の人生の中にある希望を残したいからです。

ラピスラズリの青は、
私にとって単なる色ではありません。

人生を信じる力であり、
未来へ手渡す光であり、
Blue Legacy ― 青の遺言 ― の原点です。


銀座での個展が決まり、

どんな作品を制作しようか考えていた時のことでした。

私の作品には文字が残ります。

その文字を通して、私は何を伝えたいのだろう。

作品を手に取ってくださる方は、どんな想いで作品と向き合うのだろう。

そんなことを考え続けていました。

そして、ふと自分に問いかけました。

「私は、何を書き残したいのだろう。」

頭で考えるのをやめて、ただ心のままに筆を動かしてみました。

すると、不思議なことに、次々と言葉が生まれてきたのです。

書き上がった作品を並べ、全体を見渡した時、私は気づきました。

「あぁ、これは私が娘に残したい言葉なんだ。」と。

強く生きてほしい。
自分を信じてほしい。
幸せになってほしい。

そんな願いを込めた言葉たちでした。

けれど、それは娘だけに向けたものではありませんでした。

過去の私自身へ。
今を生きる誰かへ。

そして未来を歩くすべての人へ。

人生の中で本当に残したいものは、物ではなく、言葉なのかもしれません。

この出来事は、私が「人生に残るものを書く」という現在の活動につながる、大切な原点となりました。

遺言とは、人生の最後に残す言葉ではなく、
愛する人に手渡したい人生のメッセージ。


人は誰もが、人生という物語を生きています。

私もまた、傷や喜び、たくさんの出会いと別れを重ねながら歩んできました。

振り返れば、どの出来事も今の私につながっています。

だから私は、過去を否定しません。

傷も、迷いも、思い通りにならなかった日々も。

そのすべてが、私の人生をつくってくれた大切な軌跡だからです。

そして今も、私の物語は続いています。

人生は、過去を振り返るためだけのものではありません。

まだ見ぬ未来へ向かうもの。


人生には、いつだって新しい余白があります。
その余白に、どんな言葉を書いていくのか。
どんな景色と出会うのか。どんな人生を描いていくのか。

これからも私は、人生を愛し、人生に残るものを書き続けます。
まだ見ぬ未来へ向かって。


書は、しまうものではなく、

人生と共に在るものだと思っています。嬉しい日も。迷う日も。立ち止まる日も。ふと作品を見上げた時、言葉がそっと背中を押してくれる。

だから私は、掛け軸ではなくキャンバスを選びます。作品を鑑賞するためではなく、人生の中で寄り添うために。書を飾るのではなく、人生に残すために。

青は、希望の色。キャンバスは、人生の舞台。
私はラピスラズリを練り込んだ青い墨で、
その人の人生に残る言葉を書いています。

作品は飾るためではありません。迷った時に立ち返るために。自分を信じられなくなった時に思い出すために。人生の節目に、未来の自分へ残す遺言のように。

だから私は、青を選び、キャンバスを選びます。


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